ある日とうとう、私は叫んだ。子どもがやっと泣き止み、寝入ったときのことだ。
こどもを起こさないよう、風呂場で叫んだ。
「うぉーーーーー」
言葉にならない胸のうちを声に出した。
どうしようもない無力感を覚えた。
むなしさが胸のなかにわきおこった。わたしが生きている意味ってなんだろう。
そして午後中ずっと考えた。夕食の用意をしている間も食事のさなかも、私はずっと黙ったままだった。
次の日も、その次の日もそんな状態が続いた。
夫は怪訝な顔をしていたが、何もいわなかった。私も、そんな夫に対してとくになんの感情もわかなかった。そんな自分にも対してもモヤモヤした思いと物悲しい気持ちが湧いていた。
ある日、私は結論を出した。そして夫に言った。
「わたし、働きます」
そうだ。私は、社会に戻りたかった。近所での買い物のときの会話や近所のママ友との会話にはもう飽きた。
刺激と学びのある、職場、仕事がうまくいけばわき起こる喜び、失敗したら叱られることもある。それさえも懐かしかったしそうした世界に戻りたかった。
子どもを産んだあとの、子育てをしながらの復職は簡単なものではなかった。
以前つとめた会社は辞めたので、改めて仕事を探す必要があった。
就職活動に加えて保育園探しもしなければならなかった。両親はまだ健在だけれど、彼らも自営業を営んでおり、子どもの面倒までは見られない。
●「つなげる」「つながる」仕事
面接ではかならず「子どもが病気になったらどうするの」と聞かれた。そして決まって「子どもを持っている女性は、うちではパート職」と言われた。
正社員はあきらめなければならなかったけれど、とにかく、働ければよかった。
あるとき、地元のタウン誌に、非営利団体職員のパート職の求人情報が載っていた。地域の非営利団体の活動をサポートする仕事だという。
職場は自宅から自転車で行ける場所にあった。仕事の内容も面白そうだった。もちろん、パート職だから、時給制であり給与面では正社員時代とは比べ物にならない。
面接時は、地元への愛情や仕事はせいいっぱいがんばること、子どもが保育園に預けられないときは、近くに住む両親に頼むことができる、と、少しのウソも交えて精一杯、働きたい気持ちとこの仕事にいかに向いているかをアピールした。
私は採用された。夜の時間帯も含まれたシフトであり、女性パートは敬遠しがちな仕事でもあったからかもしれない。
私は、夜の時間帯の勤務になったら、夫に子どもを任せようと思っていた。
自転車屋は、そこまで忙しくはなく夜の時間帯だったら子どもの面倒を見られるはずだった。
夫はこれまで、子育ても家事もかかわってはこなかったけれど、不思議に、「できない」とは思えなかった。
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