前提を疑う

 森前オリパラ組織委員長の口から出たという「わきまえておられる」という言葉に反応して女性たちが声をあげた。黙ってなるものかと、SNSは「#わきまえない女たち」でいっぱいだ。

 「わきまえる」は、「分をわきまえたまえ」というように命令形で使われる。自分の身の程や分際はここまでと理解して、それ以上は出過ぎない、でしゃばらない、控える、という意味だ。女性には暗黙のうちにそれが期待されていた。 

 その暗黙の了解は、それが脅かされていることへの苛立ちを森氏が口にしたことで、顕在化した。やはりそうだった、そこが問題だった、と人々が口にして初めて日の目を見た。これまで誰もが経験してきた「わきまえ癖」こそが、言葉にできなかった「もやもや感」の正体だった。 

 「#わきまえない女たち」のハッシュタグは、わきまえない女たちが発信しているのではなく、自分の「わきまえ癖」に気づいた女性たちが自戒を込めて、勇気を振り絞ってあげている声だ。 

 久しぶりに聞いた「わきまえる」という言葉はアディーチェにも指摘されていた。ナイジェリア出身のTEDトークも有名なハッピーフェミニスト、チママンダ・ンゴズイ・アディーチェだ。思い出して本棚を探し、読みなおした。 

 著書の『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』の中に、男の子と女の子の育て方の違いが書かれた一節がある。「女の子には身の程をわきまえること、自分を小さく見せることを私たちは教えます」そして、野心は持っても、持ちすぎはいけない、成功を目指しても成功しすぎてはいけないと女の子に言い続けるという。 彼女は、「でもその前提そのものを疑ってみてはどうでしょう?」と投げかける。なぜ、女性の成功は男性にとっての脅威なのか、考えてみようと。

 疑うことをしてこなかった私たちは、それを内面化し、男性を立てるものだと信じて育ってきた。アディーチェは、このジェンダーによる期待の重圧がなくなったら、どれほど私たちが幸せで自由で、本当の自分でいられるようになるか、想像してみようという。 

 「わきまえる」が暗黙の了解だった社会で、それがおかしいと気づいたり、声をあげたりするのは難しい。ただ、そこで、生きにくさを感じたり、気分がもやもやしたりするなら、その前提を疑ってよかったし、声をあげてよいはずだった。軽んじられてきた女性の生き方にもっと希望を与えてもよかった。私たちには想像力が欠けていた。 

 社会を覆うジェンダーの無言の圧力という分厚い殻は、私たちの声で破っていく。これからの女の子たち、そして社会のすべての人が、幸せで自由で、自分らしくいられる社会をめざして。 

 『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』チママンダ・ンゴズイ・アディーチェ著
 くぼたのぞみ訳 株式会社河出書房新社 

NPO法人YouToo

生きづらさを抱える女性たちの思いに「You Too」と寄り添う場です。 もやもやする気持ちを言葉にし、生きづらさの背景を考え、学び、生きやすい社会を作るために連帯して声をあげていきます。「わたし」を主語にして話すことで、あなたも、社会も、元気になる方法を探せるはず。 NPO法人YouTooには、あなたと同じ思いを持ったわたしたちがいます。