「おばあちゃんみたいな」とは?〜私たちの中にあるエイジズム〜

50代女性ふたりがおしゃべりを展開するポッドキャストの番組をよく聞いている。

本音全開、しなやかで自由な活動を実践し、いろんな事象をおもしろがり、ときにゆるりと休み、真剣にお肌ケアやヘルスを思考する。

肩肘はらない、「女子校トーク」が楽しい。

そんな彼女たちの番組で先日おすすめアイテムを紹介していた。

なかで紹介されていたのがショッピングカート。

これについて「おばあちゃんたちが使っている」ようなデザインではなく、スタイリッシュでオシャレな、パリっぽい商品がある、というように言及していた。

「おばあちゃんたちが使っているような」のイメージはわかる。

一方で、このところAllianceYouTooの朝のフェミ読みでテーマとしている「エイジング」「エイジズム」に関するテキストに「若い」女性たちは、高齢女性を「シスターフッド」の対象にしていない。そして、家父長制で女性に求められる「母性」や「奉仕」「犠牲」といったメンタルをごく自然に求めている・・・というような主張が記されていたのを思い出した。

この、高齢女性に無自覚に私たちが求めてしまうことについてを読み、私自身はとてもどきりとした。私の中にこそ、エイジズム=年齢による差別があるではないか!

高齢女性に「いつもにこにこしていて」「慈愛に満ちていて」「少しぐらいわがままを言っても聞いてくれそうで」「料理や裁縫が得意で頼めば快く引き受けてくれて」といった、まるで男性陣が求める「母性」を私自身が無自覚に期待していることに気づいたからだ。

きっとポッドキャストの彼女たちも「おばあちゃん」というワードを形容詞の一つのごとく無意識に使ったのだろう。

最近、広告やTV・ラジオCMで女性が「料理をする」「洗濯する」「子供のケアをする」、男性はあくまでそうした作業のサポート役・・・といったステレオタイプの表現を無くしていく動きが出ていると感じる。

同様に「高齢女性」の描き方も、再考する必要があるのではないだろうか。

孫の世話を快く引き受け、いつもニコニコしていて、おとなしく家事が得意な高齢女性ばかりじゃない。

アグレッシブで、オシャレに貪欲で、恋にせよ、新たなチャレンジにせよ積極的に突き進んでいく「高齢女性」だって多い。不器用で、掃除や洗濯、料理は苦手分野、という女性だっている。

「おばあちゃんはこうあるもの」「世の中の主流から外れた位置にいてあたりまえ」といった「世間」の見方、捉え方はとりあえずスルーしよう。

人生はこれからもっと楽しむ!今を精一杯に楽しむというマインドは誰だって持っている。


土曜日の朝、一緒にフェミトークしませんか!


7月〜フェミ読みで目醒める土曜日【朝7時〜8時】 フェミニズム書を読んで語り合おう〜 

NPO法人YouToo

生きづらさを抱える女性たちの思いに「You Too」と寄り添う場です。 もやもやする気持ちを言葉にし、生きづらさの背景を考え、学び、生きやすい社会を作るために連帯して声をあげていきます。「わたし」を主語にして話すことで、あなたも、社会も、元気になる方法を探せるはず。 NPO法人YouTooには、あなたと同じ思いを持ったわたしたちがいます。