エイジングに乾杯
5月は朝のフェミニズム読書会でエイジスムをテーマにした本を読んだ。これは盛り上がった。なぜって、私たちは日々のエイジングを実感しているから。
しかし私たちはここでエイジングの話をしたいのではない。エイジズムをテーマにしているのだ。エイジズムとは、自然なエイジングをバカにして老化の見える人を蔑むこと。
社会において、若い日から女性であることでひとつ下の地位にあるような扱いを受けて来た私たちは、歳をとることでまた地位が下がる。年を取るごとに、おばさん、お局さん、ババア、BBA、、と。
そこには見栄えが大きく関係する。肌の艶。顔の皺、髪の色など、日々衰える人の身体は「美」の基準から離れていく。動物である人間に老化は避けられないもので、誰もが経験することだ。にも関わらず、それに逆らい若々しくあることが至上命題となっていることに誰も疑問を抱かないのはなぜだろう?
なんらかの新しい技術があれば、それを使って努力をすれば、人は美しくあり続けられるはず。ということらしい。エイジングに身を任せるのは努力不足。今の社会には、そんなメッセージが蔓延している。
時を止めて若さがもたらす美の瞬間を長続きさせること。それはそんなに大切なことなのだろうか。
立ち止まって考えてみたい。ピチピチした美を求めているのは誰なのか?それは、社会で女性を見下しつつ、その中で若くて綺麗な子を選ぼうとしてきた男性たちではないのか?彼らに評価されてきた結果、女性自身がその同じものさしで自分たちを評価しているのではないか?
なんと愚かしいことか。私たちは誰かに選ばれるために見かけの若さなどという美を誇る必要はないのに。だって明日は誰もが今日より一日、歳をとるのだから。その日々の経験の積み上げこそが人生の豊かさであるとしたら、私たちは毎日輝きを増す方へ向けて生きているはず。そっちの方こそ尊ぶべきではなかろうか。
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