生きる楽しみ
個性の強い三人姉妹を育ててきた。
父親はなににつけ、「よきにはからえ」的な人物だった。
母はひとりで個人商店を切り盛りし、90歳過ぎまで現役で働いた。
買いにくるのはご近所の顔馴染み。
「不審」な見かけぬものなどいない。
しかしときはすぎ、顔馴染みたちの、2世、3世の時代になった。
とたんに、だれがだれやらわからなくなる。
見知らぬ人かもしれぬし、そうではないかもしれぬ。
加えて視力の低下も著しい。
彼女は「商売はやめる」と決意するときっぱりと仕事をやめた。
すると、生活のリズムがかわったせいなのか、体調をくずした。
ふとしたはずみで骨折して入院した。
内臓だけは元気だったが、やがて「かくれた・・・」と称されることもある臓器に異変が生じた。
食べることは人一倍好きで、美味しいものなら遠くから取り寄せて味わうほどの食い道楽だったが、食欲は失せた。
食べることは楽しみで、生き甲斐の一つでもあった。
その、唯一の楽しみをあじわうことができなくなった。
彼女は病院で一切の食事をとらなくなった。
もうよい。
生きることにしがみつく気はさらさらない。
ただ単に、楽しみもなく生きながらえるのは自身の性分にあわぬ。
医者が「たのむから、点滴だけでも。院内で熱中症にするわけにはいかないから」と頼んだのにはしぶしぶ応じた。
とはい、生理食塩水のたぐいで栄養がとれるわけではない。
3ヶ月後、彼女はいってみれば「栄養失調」でなくなった。
ある意味、いさぎよい死。
女の最期、
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