「特権階級」女性とフェミニズム
毎週土曜日7時からの読書会。
課題図書は「フェミニズムはみんなのもの」(ベル・ブックス著/エトセトラブックス発行)。その場でみんなで段落ごとに読んでいきます。
今日は7章「フェミニズムの階級闘争」をみんなで読みました。
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フェミニズムは翻弄されがち。利用されがち。いいように解釈されがち。
そのことを辛くも再認識するような章だった。
とりわけ気になったのは、女性同士の間に生じてしまう溝。
高学歴の女性で高収入の女性たちは自身の「フェミニズム」を追求しそれが達成されればよしとしてしまう。自分たちとは異なる環境にある女性たちには目が向かない。
すなわち自らの感じていた閉塞感が解消されればそれでよしとしてしまう。家庭に「閉じ込められていた」状況から脱却し、自身が納得できる就労の場を得られれば、生きがいややりがいを感じる機会も増える。それ以外の女性たちの立場を忘れてしまいがちだ。
自己満足の「ジェンダー平等」の達成によって、ときに、低賃金就労に従事する女性たちのジェンダー平等は視野の外だ。
そうした偏ったフェミニズムの思考こそ家父長制度の悪しき賜物だ。
「特権階級」の女性たちが、家父長制に基づく社会構造に「適応」し、自らの気持ちを安寧にしてしまえば、真のフェミニズム=みんながしあわせになる、みんなのものである=の実現はままならない。
ただ、そうした女性たちが育てられた環境、時代はすでに家父長制がすべてだった。責めることはできない。フェミニズムは、誰か特定のコミュニテイや階層、個人を責め責任を追求することではない。あらゆる世代、性別をこえて協働し連携し、互いをいたわりあい尊重し、全ての人が生きやすい社会を創ることが本当のフェミニズムだ。
シスターフッドを心地よく保つことは大前提だ。わたしたちは、みな、前を向き、同じ課題に向かって学び、取り組み、行動し続けよう。
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