強いフリをするマインドがコロナ禍で変わった。フリは無意味な社会になったのだろう。
だからといって何も変わらない。誰かが助けてくれるわけではないから。ただ、弱者の存在が可視化され、存在として認められるようになったということなのだろう。
これまでは、社会がどんなに病んでいたとしても、自分は負けないと思ってきた。現実は見つつも、自分はエンパワーする側であって、決してされる側ではない、と思ってきた。頑張れば報われると信じて前を向いて生きてきた。
でも、社会はマイノリティーに容赦しない。コロナ禍でそれは誰の目にもはっきりした。もしかしたらこれまでの自分は、思考停止していただけかもしれない。マイノリティー側にいることを認めたくなくて現実を見たくなくて。
絶対的マジョリティにいる人々はそんな社会が見えないし、当然認めない。彼らは自分たちが作った社会構造がマイノリティーを排除する仕組みだなんて思いもしない。それを思考停止と呼んできた私たち。よく考えたら見ないようにしてきた点で全く変わらない。
まずはマイノリティーの思いを共有しよう。そして世界を可視化する。いびつな社会の構造をありのまま受け止めて、そこに生きる私たちの生きづらさを受け止め合う。もやもやしたものは、この世界で生まれる当然の感情なのだと認め合う。それこそがエンパワメントじゃないだろうか。
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