「ありがとう」がないと何故腹が立つ?



 朝の読書会で読む本『ひっくり返す人類学 生きづらさの「そもそも」を問う』(奥野克己著)を、図書館で借りてみた。24年8月初版だから、まだ新しい。家事をしながら、いつもラジオを聴いているのだが、飢えてサルを食べたと話す奥野克巳さん、ゲストで呼ばれていたのを、私とは全く違う世界に生きてる人、と軽く聞き流していた。奥野さんは、『奥野克巳・吉田尚記の文化人類学ラジオ』という番組も持っていて、あちこちで発信している。聞いているだけでも面白い。

 今朝の読書会では、貧富の差や差別のない、狩猟採集民プナンの人々が、食べ物を分け与えられても感謝もしないし、喧嘩をしても謝罪もしない、自分の力で得た食べ物を独り占めせず、均等に分配する、服も持たず、物を持たない人間が褒められ信頼されるという暮らし方について話をした。

 最近は私の周りでも、感謝も口にしないし謝れない人もいるが、私はそのような場面に出くわすと腹が立つ。しかし、プナン人はそれが当たり前。「ありがとう」「ごめんなさい」から始まる絆もあるだろうに、と思ったりしたが、 では、私はなぜ腹が立つのだろう?幼い頃からの、教育かな。「ご挨拶しましょう」、「何かもらったりしたら、お礼をいいましょう」、「喧嘩したらお互いに謝って仲直りをしましょう」など。プナンのひとは、喧嘩しても、疲れるとやめるのだとか。腹が立たない日常なら、血圧も上がらないし、健康的だ。結局、ありがとう、ごめんなさいを言わない社会の方が生きやすい!?

 礼節を欠くと非難されがちな我々日本人とプナン人の暮らし方において、なにか類似点があるとしたら、困っている人がいたら分け合えること、助けあいの精神、お互い様。だろうか。他にもみつけられるのか、読み進めながら、探してみたい。

NPO法人YouToo

生きづらさを抱える女性たちの思いに「You Too」と寄り添う場です。 もやもやする気持ちを言葉にし、生きづらさの背景を考え、学び、生きやすい社会を作るために連帯して声をあげていきます。「わたし」を主語にして話すことで、あなたも、社会も、元気になる方法を探せるはず。 NPO法人YouTooには、あなたと同じ思いを持ったわたしたちがいます。

0コメント

  • 1000 / 1000