現代のお三度地獄
「おさんどん」という言葉がある。台所などで働く下女または台所仕事のことを言い、日に三度の食事を出す「お三度」から来ているという。 語源には諸説あるが、江戸時代、町家の台所仕事をする下女に「お三」とよばれる者が多く、名前の下に添える丁寧語「どん」をつけて、「お三どん」と呼び習わされていた。転じて台所仕事のことをいうとするのが通説となっている。
実は、現代にもこれが存在するのだ。友人の話だ。彼女には3人の息子がいて、ひとりも自立せず家にとどまっている。母親が70歳を過ぎても日に三度の食事の支度と片付けを3人分している。息子らは三度の食事だけでなく、おそらく洗濯も掃除もしてないだろう。これがいつまで続くのかわからない、と、お三度地獄だと嘆くのだ。 この友人だけでなく、こんな家庭は数知れず存在しそうだ。かくいう妹の夫の実家がそうだ。妹は、長男と結婚したのだが、弟の二人がまだ実家で暮らしている。何もしない父親と二人の息子、合わせて3人の男性を、妹の義母は「おさんどん」している。息子たちはすでに50男だ。母親は70歳を過ぎて痩せ細り、度々体調を崩して入院することもある。そんな義母を休ませるため、妹は実母も連れ出して小旅行を企てたりしている。「結婚ってする意味あるのかしらね」と義母を思いつつ、怪訝な顔で言う妹に、「そんな息子は放り出せ!」と、父は怒って言うが、本人たちには伝わらない。妹が口止めするのだ。一度「放り出して」一人暮らしをさせてみたが、ガリガリに痩せ細ったので引き戻したらしいのである。こんな事情があって妹は女の子がほしいと強く願い、産婦人科に通い産み分けにトライしたのだが、生まれた2人の子供はどちらも男の子だった。妹はしばらく落ち込んでいた。年月は経ち、2人の男の子は成人し、仕事を得た。そのとたん、妹は2人に一人暮らしをさせた。義母の例が反面教師となったのだろう。
この問題には、江戸から続く「おさんどん」の性差別が潜んでいる。女の子はお母さんの手伝いをしなくちゃだめ、と昔はよく言った。男の子は手伝わないで遊んでいてもなにも言われなかった。家事を身につけることは自分で生きる力を身につけることにほかならない。男の子も女の子も、また、老後もしかしたら妻が先に逝くかも知れない「ご主人」然としている男たちにとって大事なことのはずだ。
「お三度地獄」に身につまされた私は、YouTooの仲間にと問いかけてみました。私自身は、還暦過ぎであり、こちらにでてくる、70歳の女性と同じ状況になりかねない状況で、考えさせられる内容です。幸い、私は義母のような自分を犠牲にしてまで家族に尽くすタイプではなくて、自分に必要な、したい家事しかしたくない人間だと気づけましたが、それでも息子が夜勤明けで疲れている様子に、洗濯をしてしまう自分がいます。ただ、毎日、繰り返し3回食事を作るなんて出来ません。きっと過労で倒れます。 夫も、息子も、今は私に期待せず朝と昼は適当に自分でしています。子供を産み育てるのは何のためなのか、誰の幸せのためなのか、親のエゴなのかと色々考えさせられたのです。息子が幼稚園に通っていた当時は、「年をとったら子供に面倒を見てもらうんでしょう?そしたら1人前に育てないとね」と先生に言われて、そんなものなのか、と違和感なく聞き流していましたが、現在は、「本人がひきこもりにならず、周りに依存せず、自立した大人になるために育てる」と変わったのです。 親自身も精神的に自立していない問題もあります、正直私は娘が家を出たことに喜びより寂しくて仕方がないから。話し相手がいなくなるからです。これも依存になるのでしょうか。また、極端な考え方かもしれませんが、親や家族に依存して暮らしてきた子供が最終的にひとりになったとき、自立できなかった事に絶望し、メンタルを病み、周りに気付いて欲しくて、不可解な犯罪を起こすケースもあるのではないかと心配になります。
以下は、Youtooの仲間の中でのコメントです。
・母親が弱っても自分で自分のことをしない息子の思考にも問題ありそう。そもそもモノゴトの処理能力や人に寄り添う気持が不足してるように見えます。もちろん性差別、つまり性役割固定というジェンダー問題もあるけれど、その先で甘えた男を量産してきた。その結果が今の社会なのかも。残念ながら最近の裁判を見ていてもそんな気がします。
・食事の準備、掃除、洗濯などの訓練が「お母さんのお手伝い」なのが不思議ですね。それを自分でやれないってことは、動物だったら、おっぱいもらって、下の世話もしてもらってるようなもので。でも、その教育や訓練を受けずに、急に放り出されても大変ですね。
・学校いったら家庭科の授業もあるし、スマホで検索すれば家事のやり方なんていくらでも出てくるし。家事って生きていく方法だから、試行錯誤して自分のやりやすい方法を獲得していけばいいんだと思いますが、一人暮らしでガリガリってなると、根本的な問題解決能力の不足だなと感じます。家事以外のことは処理できるのかな?
・ 幼稚園や小学校で最低限は学んでいると思います。日本の学校は子供が給食当番や掃除などなんでもやるから!世界ではそうでもないみたいですが。別に女も特に学んだ訳じゃなくて試行錯誤で暮らしてる訳だし。特に子育てなんか、やったことないのに突然、知らない仕事が山ほど降ってくる。そうだったよね?習っていないから家事ができないという人たちが会社でする仕事って、どうなんでしょうね?仕事は共感力や想像力がないとできないはずなんだけど。ロボットじゃないんだから。
・向いている仕事と向いてない仕事があるでしょうね。何か言われたものを作るとか、闘うとか、研究とか、そういう事はできるのかも。しかし人の世話をするような仕事は向かないでしょうね。
・誰だったか、男の人が仕事として介護をやった時に、どこか任せきれない場合がある、と言った人がいましたが、この息子のような人達なのかもしれません。日本の小学校で掃除や配膳を教えるのはとても良い事だと思います。ヨーロッパでそれをやらない理由として「そういう仕事は専門家に任せた方が良い」と聞くのですが、その専門家は、イギリスでは移民系の人々が多くやっているように思います。もともと職業、階級差別が女性差別と深く結びついていて、ヨーロッパではそれが植民地時代に部分的に奴隷差別にすり替わったのかなぁという気がします。
皆さんは、お三度地獄、について、どう思われますか?何かお話したくなりましたら、YouTooに、是非、コメントを下さい。
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