どこで、どう死ぬ?誰にどうやって知ってほしい?何をどう残す?
11月25日のフェミ読みでは「おひとりさまの老後」第6章「どんなふうに終わるか」を読み、印象に残った、あるいは実践したいこと、みんなに伝えたいことをJamboardでシェアしました。
盛り上がった話題の一つが「孤独死」について。
おひとり様は、ひとりで最期のときを迎える可能性が大きいです。
おひとり様の最期の、どちらかと言うとホッとするケースは郵便物(DM含む)や新聞の、ポストへのたまり具合や、働いている人なら無断欠勤などから、「なにかがおかしい」ことが早期に判明する場合。
一方、「大富豪」でありながら死後1年もそのままだったというおひとり様高齢女性の話が本のなかには、出てきました。
つまり、経済力や保有資産はとつぜん訪れる「死」に対しては無力なんですね。
誰かと少しずつつながっていれば、放置は免れる可能性が大きいっていうこと。
だから私たちにとって、お金もそうだけど、もっと大切なのは、ゆるやかなつながりを常日頃から意識していることなんじゃない?
ただたとえおひとりさまのシンプルライフであってもお金はなくてもそれなりに物はある。
魂なき後も、物理的に残るものは残ってる。
これはなんとか処分する必要があります。
さすがにこれらの遺品たちを無償で知人や残った家族に「やってね」と、のほほんと言えるほど、わたしたちは品がなくはない(はず・・・)。
そう。介護であれ、看護であれ、どんなに親しい間柄でも他者が動くばあいは、そこに無償はあり得ない。
そこで最低限残しておくべきは?
参加者からは、散骨費用、(考えたくないけど)特殊清掃費用、遺品整理などの実務費かなあ・・・という意見。
死ぬのも、最期が一人なのも、怖くはないけどやっぱり残された人にはできれば、負担をかけたくないものね。
とはいえ、ベストの方法はいまはわかりません。
今後、飛躍的にAIやそれを使いこなす機器が進歩し、個人監視とツール活用の紙一重になっていきそうな世の中でいましばらく私たちは生きていくことになるのですもの。
それに、私たち一人ひとり、最期の時期も違います。
どんなふうに、いつそのときを迎えるのか。
「わたしの選択」に加え、ヨノナカの技術の進歩や、もしかしたら法的、制度的な改正によって一人ひとりぜんぜん異なるかもしれません。
そのうち「安楽死」なんていう言葉が、人ごとでも絵空事でもなくなるのかも?
映画PLAN75で描かれる架空の近未来が現実化する日がくるのかも?
みなさんは、ご自身の最期について、どうおかんがえですか^^
10月21日日土曜日から11月25日までの読書会詳細はこちら。
「フェミ読みで目醒める土曜日【朝7時〜8時】 フェミニズム書を共読しよう〜 」
※非男性対象
https://morning-reading-1021-1125.peatix.com/view
12月も引き続き、フェミ読みは開催します。
参加してみようかな!という方、お気軽にご連絡くださいねー!
課題本や参加リンクは、ご連絡をくださった方にお伝えします🎶
AllianceYouToo事務局
projectyoutoo@gmail.com
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