わがまま
土曜日のひとりごと。雷に打たれる午後😄
なんか胸が痛くなったのだ。
子どもの頃、思春期、社会人になってもわたしは「わがまま」と家族に言われることが多くあった。
今日、ある本を読んでいたら「”わがまま”とは”女性らしくない”と同意義だと気づいた、という体験が書いてあった。
とても腑に落ちてしまった。そしてわかりみが強すぎて胸が痛くなってしまった😆ほんとに、どきどきするぐらいに。
わがままの反対は、わたしにとって周囲に合わせること、目上のひとや声のでかい人のいうことをよく聞き、長い物にはまかれろ。
それらを粛々と遂行している状態が「わがまま」でない、まっとうなありようだ、という偏った刷り込みがわたしのなかになされていた。
周囲=日本では家父長制の社会、なんだよね・・・。
わたしは自らを「女性らしく」の呪縛にしばってきたんだな🤔
もやもやするとしたら、そういうことなのかも。
注:実際のわたしは、周囲の人たちに言わせるとかなりのはね駒だったみたいだけれど。言い換えれば「わがままでないようにしよう」ってのは、口先だけともいえるのか😆
実際のわたしはちっとも優しくなんかないしわかりみがよくもない😆我が強い、自己中心的で、自分がよければハッピーという人間だ。
もし気遣っているように見えるのだとしたら、自分をさておいて人を思いやるっていうより「わがままなじゃくふるまおう」という、「ええかっこしい」「呪縛」による気遣いだったのだよ、きっと。
わがまま、って我であるがまま、っていうことだとしたら。
わがまま上等。いいじゃん。
0コメント