--
私は今、女性とその子どもたちが暮らす家に暮らしている。
いわゆる「シェルター」と言われている場所だ。
高校卒業後に結婚した夫はいわゆる「DV」夫だった。
そんな夫から逃れてたどりついたのだ。
シェルターでは、そこで暮らす女性たちが自身の体験を話す時間がある。
いま、この時間を通して、夫のことを、改めて思い返している。
話すことで自分自身を客観的に見られ、自分自身のとらえ方がいかに偏っていたかがわかってきた。
--
●私は何をしてもダメな子だった
私の両親は、仲が悪かった。
母は、いつも父から「お前は何もできない、料理は下手くそだし、部屋のなかはいつもちらかっている」と言われていた。
父は公務員で、定時には仕事が終わるから、毎日ほぼ同じ時間に帰ってきていた。
家にいるときの父は、いつも不機嫌だった。
不機嫌の矛先は母親に向いた。
父は、私に対しては、子どもの頃からことあるごとに「ちゃんと勉強しろ。女の子なのだから、家事もちゃんとこなせるようにならなければ、男は寄ってこない、嫁にも行けない」と言った。
そして、その続きで母には「娘ひとりの子育てぐらいはちゃんとできるだろうな」と吐き捨てるように言った。
母は、その言葉にしたがい私を「ちゃんとしつける」ことに専心した。
髪型、服装については「女の子らしく、しとやかに」。
何が女の子らしくしとやかなのか、よくわからぬまま母の言うとおりの髪型にし、母が買ってきた服を着た。
母の言うとおりにすることで、父からの小言が減るのなら、よろこんで従おうと思った。
母を助けたい、と思った。
でも、私がどんなに努力して母の言うとおりにしても母は、満足しなかった。
食事のときの箸の使い方、食器の上げ下げ、風呂の入り方、服の着方、洗濯もののたたみ方。
何をどうやっても、必ず母から一言、二言「ダメ出し」があった。
何をやっても満足にできない。私は自分を責めた。
いつしか私は「私は、何をしてもダメな子なんだ」と思うようになった。
●彼は「アドバイス」をくれた
高校に入って、好きな人ができた。
好きになった理由はただひとつ。
彼が私のことを好きになってくれたから。私は、異性に対して臆病で、自分から告白したことがなかった。
自分は相手に告白できるような立場にない、そんな価値はないと思っていたからだ。
だから、彼が私に「付き合って」と言ってくれたときは心底うれしかった。だから、私も好きになった。
こんな私でも、好きになってくれる人がいることに幸せを感じた。
彼は、私に対してあれこれを「アドバイス」をくれた。
私をもっとよくするためだという。「オレ好みの女にするためだ」とも言った。
話し方、友達関係、彼に対する態度。
髪を腰までのばせ、制服のスカートは他の男子の目を引くようなミニにはするな、といった彼のアドバイスは喜んで受け入れ、その通りにした。
私はうれしかった。何を言われても、彼の言うことなら喜んでそのとおりにした。
それから、彼はしばしば、私に「たのみごと」をした。
どれも小さなことだ。
たとえば、朝一番にLINEがあり新発売のドリンクを買ってきて、とか、学校にいるときに雨が降ってきたから家から傘を持ってきて、といった誰もができるようなことだ。
それらの頼みごとを、誰もができることなのに、私だけにしてくることがなにより嬉しかった。
わたしのことだけを、信じてくれている、好きでいてくれるからだと思った。
私のことだけを、見てくれているからと思うと心が喜びにふるえた。
●私を認めてくれる唯一の人
彼が「おれの女」と言ってくれるときほど幸せを感じることはなかった。
「オレ以外の、どんな男子とも口をきくな」といわれる愛されていることを実感した
家庭では、相変わらず父親は不機嫌で、母は私に小言を言った。
そして相変わらず私は、家庭では何をしてもダメな子だった。
でも私の心は以前と比べて明るかった。
彼が私を頼りにしてくれて好きでさえいてくれたから、前よりも幸せだった。
なによりも怖かったのは彼が不機嫌になってしまうことだった。
私を嫌いになってしまったらどうすればいいかわからない。
だからいつでもなんでも、彼の言うことには応えられる自分でいようと思った。
●DV
彼とは、高校を卒業すると同時に結婚した。
すでに私のお腹には赤ちゃんがいた。
彼は、私と、子どものために働き始めた。
仕事から帰ってくると、必ず不機嫌だった。
高校時代とは違い、職場では彼は一番の下っ端で、常に職場では指示にしたがって働かなければならないようだった。
最初のうちは、不機嫌であまり話をしない程度だった。
やがて食事を一口食べるとあからさまに顔をしかめてプイと外出してしまう。そのまま夜中まで帰らない。そんな日が増えた。
彼はお酒を飲まなかったので、行き先はパチンコ屋だった。パチンコのあとはどこに行っているのかわからなかった。
パチンコは、大抵すってしまう。それほど収入があるわけではないのに、パチンコで負けがこむと、家計に響く。
子育てをしている身としては、子どもに十分食事をあげられないことだけは避けたい。
ある日思い切ってそのことを口に出して彼に言った。すると彼は
「毎日必死で働いているオレのやることに口を出すのか!」と激怒した。
そして怒りに任せて私の頰を叩いた。
ただ、翌日には彼は「悪かった・・・」と私に対して謝った。
やっぱり彼は私を愛しているんだ、私は安心した。
けれど、不機嫌な顔で帰宅し、パチンコに行ってしまう。
パチンコで負けるとまた不機嫌になりそのまま家でも不機嫌な顔でいる。
そんな毎日が続いた。
子どもがぐずろうものなら、「お前のしつけが悪い」と、いきなり私を叩く。
暴力は、日常茶飯事になっていった。
家庭内での小言も増えた。小言というより罵りだ。
風呂の温度がぬるい、熱い。家の中が乱雑。こどもの排泄物のにおいが耐えられない。
不機嫌な時間が増えていく。
いきなり切れたあとは私の頰を叩く。時には蹴る。
暴力の回数は増えていく。
ただきまって手を挙げた翌日は、必ず私に謝った。
私はそのたびに、「やっぱりあれは一時の気の迷いみたいなものだったのだ」と思う。
愛されている、と一安心する。
だがやがて私は一挙手一投足にも気を配り、何をするにもビクビクするようにもなった。
あるとき、子どもと私が寝ているときに、ふと人の気配を感じておそるおそるうっすら目を開けた。
彼が、寝ている子どもの顔をじっと見つめていた。
愛情に満ちた視線ではなかった。
その瞳はビー玉のような無感情の、背中がぞーっとするような瞳だった。
私は、危機感を覚えた。
母親としての本能かもしれない。
私は、逃げることを決意した。
このままでは子どもがあぶない。
私は、彼が仕事中である昼間に、子どもを抱いて家を出た。
そして今の場所に、たどりついた。
0コメント