先日、バブル期に「若者」であったという、見た目男性のコースケさんを含め、複数人でお話をする機会があった。(名前はすべて仮名)
話の内容は、女性たちから発せられる、自分がこれまで味わってきた違和感、もやもや、言いたくていえなかったこと、「思わされてきた」ことなどが主だった。
あゆみさん>
中学生までは、男女関係なく、みんなジャージを着て、「タメ口」で話し合い、ときに男女が取っ組み合いで喧嘩して・・・なんていう光景もざらだったのに、高校に入ったとたん「女子」は、言葉遣いやふるまいがガラッと変化する。それも「男子を立てる」「男子ウケしようとする」方向へと。それがなぜか自分には理解できず、女子の間でどうしても浮いた存在になっていた。
みちのさん>
結婚して子供を産み、さあもとの職場へ復帰!と張り切って働き始めた。当然、子供は保育園に預けることになる。すると義母の態度が徐々に予想しなかった形に輪郭化されてきた。すなわち「仕事はしてもいいけれど、第一優先はこども。保育園の送り迎えはもちろん、日々の食事づくりも当然こなしてから仕事なりなんなりするのが母親として当たり前のこと」という考え方。あれ?なぜ私だけ子育てや家事の中心を担わなきゃいけないの!?!?とにわかに疑問と憤りが。夫に言ったところ暖簾に腕押し。孤立化を深めていった・・・
えりかさん>
昭和の時代って、「24時間働けますか」の世界で、男性たちはサラリーマンとして会社のいうとおり、会社の兵隊とかときに道具みたいな位置付けで、疑問の余地なく長時間、バリバリ働き生産性をあげることが是とされてきた。男性はそれを当然としていたし、それを陰で支えるのが妻、というのが一般的な「普通」の家庭のあり方。女性たちは自身の意思や思い関係なく「専業主婦」=黒子としての存在を余儀なくされた。でもそんな「普通」なんて永遠に続くものじゃないしそもそも「普通」っていうよりむしろ異常だったんじゃないの?って今は思える。
なんていう話がポツポツと出てきていた。
すると「バブル期なんて男もつらかったんですよー」とコースケさん。
つらかった・・・の中身は「アッシーくんとして夜遊び女性の迎えのために呼び出される」「メッシーくんとしてご飯やお酒をおごらされる」、まるで無報酬の執事みたいな存在であることを強いられた、という。
コースケさんの発言を聞き、ピキンとなにか違和感をおぼえた。
とはいえ、雑談のなかだったし、みんな笑っていたからそんなに突っ込むものではないかなーと思ってそのまま流してしまったのだけれど。
なんだか私はこのところ「男もつらいんだ」発言を聞くと自動的に思考回路に黄色信号が点滅する。その理由を明確に述べよって言われるとちょっとうまく言えないのだけれど。
メッシーくんとかアッシーくんがになっていた役割って、「専業主婦女性」たちがやっていたことと同じなんじゃないの?
酔っ払っちゃったから、とか雨が降ったから「おかーさん迎えにきて」って「おとーさん」から言われて車を出したり。
夜遅く帰ってきた夫や、いきなり同僚を連れてきた夫のために夜、予定外の夜食を出すことになったり。
それとかさー。
メッシーアッシーって、奴隷みたいに扱われたっていうけれど、やっぱりいわゆる「下心」というものもあったのでは?とも思えるしなあ。そのさきにある、もっと「おいしい状況」を期待、なんていう下心があるからこそ嬉々として車も出していたのでは?
などなどという考えがつらつらとふつふつとわき起こるからかもしれない。
どうなのだろう。
ちなみに私は「男はつらいよ」(寅さんシリーズ)の大ファンです。
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