自分を責めないで
ストレスの多い状況下で、逃げる事もままならず、全てが辛くて、いったいどうするべきなのかわからなくて途方に暮れる。心身の疲弊が激しく、問題解決のための試行錯誤なんてまず無理、1日1日をしのぐだけで精一杯。とにかく今、すぐ楽になりたい。それ以外の何も考えられない。
しかし難しい状況を凌いでいるうちに、予想外の方法で状況が改善する事もある。だからとりあえず今、自分の可能性を狭めずに、この状況を持ち堪えたい。
何度かそんな事があった。そんな時に、手っ取り早くかつ本質的な効果があった事の1つは「自分を責める事をやめる」事だったと思う。地味だけど、エネルギーの底上げができる。
自分を責めるのは、適正なタイミングと量(それはごく少量)でない場合、けっこうな害になる。自分を責めるとなけなしの元気が減り、問題解決のための行動を起こせなくなる。自分も、周りの人も、誰も得しない。
そのうえ、自分で自分を責めていると「誰かを責めたい人」を引き寄せてしまい、その人にまで責められることになる。迷惑だし、実はお互いに損だ。
何かの行き詰まりでは、まずは自分で自分の元気を減らさない事に専念する事が、問題解決の第一歩だと思う。
癒しを目的にしたサービスなどもいろいろあるが、自分を責めながらそれをやっていたら、穴の空いたバケツに水を注ぐようなものだ。水を注ぐのは良いが、穴も塞がなければならない。
といっても、ずっと自動的にやって来た「自分を責める事」を止めるのには少しコツが必要だった。自分の場合は以下4つが効果があったように思う。
1、過去の努力や成し遂げたことを評価する。
少なくとも、生き続けるだけで相当の努力や工夫が必要であり、それをやって来た。赤ん坊の時は歩くことすらできなかった自分は、今は歩けるし踊る事もできるようになった。生きづらい社会を憎み、大量殺人鬼やテロリストになる可能性だってあった。しかし、そうならずに済んでいる。自分が努力したからこそできたこと、やらずに済んだことを一つ一つ思い出し、言葉で表現する。
2、今の状況は「自分のせいではない」という事にする。
無職だとか家族に問題があるとかの社会的状況、体力、気力などの性格や素質、それら全ては遺伝子、受けた教育、社会状況等の組み合わせによって発生した状況であり、その状況の中に、たまたま自分がいるだけの事である。もしキリスト教やイスラム教であれば「全能の神の思し召し」である。いずれにしても自分の心がけや努力でどうこうできたように思えるような事も、実はそうではない。だから「自分のせい」ではない。不可抗力である。
*この考え方だと、「他の人のせいでもない」という事にもなるので、他人の事も責められない。
3. 自分に対して失礼な言葉を使わない。
失礼な言葉かどうかを判断するには、「一生懸命に生きている他人に向かって言える言葉かどうか」という判断基準で良いと思う。例えばこんな言葉は言わない。
・どうせ私なんて
・頭が悪い
・罰が当たった
正論は時代が変われば変わったりもする。
正論に見える言葉を吐くよりも、今目の前にいる人を傷つけない事のほうが選ばれる事は世の中にたくさんあると思う。自分にもそうする。
4. 人から褒められたら否定しない
その人は、相手の気分を良くするためにおべっかとして褒めている場合もあるかもしれないが、単なる感想の場合もある。「いいえ私なんて」と否定したら、誰かの感想を否定する事になるかもしれない。本当の自分なんて誰にも、自分にもわからない。何か褒められたと思ったら「へぇそういう風に思ってくれるんだ。ありがとう。」
と、受け取る。
そうすると、自分の無意識が肯定された事を感じ、一種の自己暗示にかかり、それがエネルギーの元になる。
そうは言っても、自分を責めないともっと自分が間違った事をしてしまいそうだと気になるときもある。その時は体力に余裕が出た後でじっくり考える事にして、メモを取っておく。今は考えない。その余裕がある時に、公平な視点を持ち、利害関係のない別の人に判断してもらう。そして過去の間違いは今後の行動で、やれる範囲で、償っていくと決める。
0コメント